ミャオ史:1 ビートルズとストーンズ

hidizo2006-09-26



いきなり、ほぼここで結論めいてしまうのだが、ミャオロック的なるものが実際に形を表すのは1970年代だ。
何を世界初のミャオロック・アルバムとするかは大いに迷う所ではありますが。
以下の3枚の登場をもって、と言ってしまいたい。
ラモーンズラモーンズの激情」
ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ「L.A.M.F.」
デッドボーイズ「We Have Come for Yor Children」

そうですね。つまりアメリカのパンクの中でもロックンロール色の強い一派がミャオ的な価値観を明確に形作った。
しかも、それぞれが微妙に色や意味合いが違うので、どれの登場を持ってミャオロックが始まったと言うよりは、この三枚が出そろっていよいよミャオロックの価値観が確立した、とでも申し上げたい。


とはいえ、ミャオロック史的には、60年代で既にミャオ的に8割以上の到達点に辿り着いているバンドや人も決して少なくない。
故に50年代以上に概論で語ることが難しいので、いきなりここから70年代までは駆け足で大まかな流れを述べて、後は個々のミュージシャン達について語っていきたい。

っていうか収拾がつかなくなっちゃったのよ。


まず、ミャオロック的にはやはりビートルズの存在はデカい。
自作自演というスタイルを定着させたことが、それまで以上の多くの人を音楽による自己表現に向けていった事は大きい。しかもバンドのサウンドの組み立て方はバディ・ホリーのクリケッツのスタイルから多くを得ている。彼らがよりロカビリー的なジーン・ヴィンセントやピアノを前面に出したリトル・リチャード的なスタイルを素にして、あのタレント性と楽曲を武器にしていたらミャオロック的なるものが登場するのがもう少し遅れたかも知れない。
しかしそれ以上に、何と言ってもこのバンドは、4人中3人がミャオロッカーである。
つまりポール以外はミャオロッカー。
当初はジョージとリンゴがどミャオであったが、ジョンが自分の弱っちいところを開陳するに至って気色悪い猫なで声で歌うようになり、ミャオ度は加速。多くのティーンが感銘を受けたであろう。その辺はまた後ほど。


対抗馬のローリング・ストーンズはどうであるかといえば、これがまた強烈なミャオ振りである。
ミック・ジャガーは、声こそ野太いが、腹よりは咽でちょいちょい転がす粘っこい歌唱そのものは明らかに多くのミャオ的な模倣を生んだに違いない。
それ以上に、見た目から声から曲作りに至るまで、全身がミャオ化しているキース・リチャーズの存在がもっとデカい。音楽から生活にいたるまで、どうにかしているほどのだらしなさを醸すこの男こそ、ミャオの助産父とでも言うべきだ。
その上このバンドには、歌わずしてその存在感のみで驚異的なミャオロックを醸す魔人が居る。ビル・ワイマンである。あの芯のないベースの音色、よく判らない動き方をする旋律、なによりあの何とも言えない顔。存在自体がミャオの権化。ストーンズでは歌わないが、歌えばミャオなのも素晴らしい。奇跡としか言いようがない。


そして、英国のビート・ブームの中から、ファーザー・オブ・ミャオとでも言うべき巨星が登場する。
キンクス=レイ・ディヴィスである。