北村大沢楽隊 「疾風怒濤!!!」

hidizo2006-01-23



でっかい鉄槌で頭をぶん殴られるような衝撃」を音楽で得たことのある人は少なくないと思う。
しかし、この「耳の穴から頭が浸食され、気が付くと風景まで歪んで見えてきてしまうような衝撃」ってのは殆ど味わったことがなかった。
知人からその存在を伺うまで全く知らなかった北村大沢楽隊
ブックレットによると宮城県川南町(録音当時の2003年。現在は花巻市に合併された)に存在する、平均年齢70歳以上のブラス・バンド。
あ、ブエナビスタみたいな知られざる老人名バンドね」と思うのが普通だと思う。

そんな甘いもんじゃない。

基本的には、地元の運動会が演奏の場だという素人バンドだ。編成にバルブ・トロンボーンの人が居るのがちょっと珍しいが、本人達が目指すアンサンブル自体はチンドンの流れを汲むオーソドックス且つオールドタイムなブラスバンドと言って間違いはない。
しかし、根本的に「懐かしい響きがある」とか「『疾風怒濤!!!』ってタイトルからしてバルカンブラスみたいなお年寄りなのにギンギンな感じ?」という味わいではない。

最初の印象は、シャッグズかキャプテン・ビーフハート
リズムのかみ合わせはガタガタ。ハーモニーが謎すぎて(っていうかハモってない)「天然の美」みたいな有名曲をやっていても何の曲か判らないときもある。各楽器が適当に鳴りまくるのだがエゴイズムで他人を押しのけるような自己顕示は薄いゆえ、余計に滅裂なインパクトを与える。
特にトランペットの音が凄まじい。まるっきりアラブの妖しい笛のような細くてキンキンした歪みのある音で、初めはそれがペットの音であると認識しづらいくらいである。
そんな空中分解しっぱなしの驚異のサウンド。その空中分解は全く意図された物ではありません。上手くないだけなの。考えてみたら実にありがちな音楽の筈なのに、どこにも存在しない音に向かってしまっている。
そもそも、「徒競走用」とかブックレットの曲名の後に書いてあるんですが、これでお子様がかけっこしている様子が全く浮かんでこない。恐るべき脱臼感である。曲が進むたびに信じられない馬鹿馬鹿しさに、腹がよじれるほど笑ってしまう。

しかし、この無意識と意識が入り交じったサウンドにあてられているうちに、明らかに光景が変わってきてしまう。シャッグスですら、根底には創作の意図みたいな物が結構大きく横たわっている感想になってくる。ここには人間が発する気のようなものが無尽蔵に漂っているだけ。その自然さこそが不自然に思えてしまう。
これを聞く体験は、日本の音楽を聴く、あるいはチンドンの流れにある物を聞く意識では全くなくなってしまう。ハリー・スミス編纂の「Anthology Of American Folk Music (これ、絶対に一度は聞くべきです。詳細はこちら。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001DJU/goodasgoldstu-22)」とか、あの「エチオピーク」シリーズとか、あるいは三上寛さんの音楽とか。まるでワールドミュージック完全に意識の外側に置いてしまっているのに、その土臭さが種としての人間の原風景を無理矢理見せつけてくる音楽群に通底するような、どろりとした臭みや歪みが覆い被さってくる。
まあ、ひょっとしたら「何て下手な音楽だ!!!」って感想で終わっちゃうかも知れないけど。

私が見ている風景が歪んでいるのか、この音楽が醸す風景の方が歪んでいるのか。果たしてこうした音楽のありようはここにしか存在しない物なのか、普通に村々で見られた物なのか。全く迷わされる。完全に耳から脳が浸食されてしまう。普段何気なく耳に出来る物の中に、こんなに歪んだインパクトを与えるものってあったっけ?と。私の原風景にはないなあ。地元の祭り囃子だって、もう一寸整合性があった気はするし。
誤解して欲しくないのですが、ここで鳴っている音はピュアでもイノセントでも崇高なものではない。まあ言ってしまえば大して上手くないブラスバンドですよ。音としては例の間の抜けたプップカプー。油断するとまた笑いの渦に巻き込まれてしまうからたちが悪い。

とにかく凄い音だ。こればっかりは言葉をどれだけ弄んでも、あの驚愕の音に全く一致しない。「何じゃこりゃ!!!」という驚きに、容易に至る音楽。
多分皆、聞いてみれば騙されたと思うはずだが、絶対に一度は騙されてみるべきだ。
これほどの衝撃を伴う物ってそうそう無いはずだから。
ジャケも格好良いし、ブックレットの充実など、丁寧な仕事ぶりが流石たのもしき名レーベルoff noteである。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000A38SEC/goodasgoldstu-22