ミャオロック前史:3 THE KING

hidizo2006-08-13



一ヶ月ぶりの更新になってしまいました。


エルヴィス・コステロの1st「マイ・エイム・イズ・トゥルー」には、ちょっとギーク気味な本人のポートレイトの周囲に市松模様がびっしり配置され、そこに文言が書き込んである。曰く
「ELVIS IS KING」
自分の芸名に引っかけた駄洒落である、ということを多くの人が認識するのは、KINGと冠されるエルヴィスとはコステロではなくプレスリーである、というのが共通の認識だからだ。
それどころか、ロックにおいて「キング」とはプレスリーに他ならない。


エルヴィス。タフで厚みのある恵まれた声質。シャープでありながらコッテリとした味も醸す歌い口。抜群のリズム感。清潔さと不良性を兼ね備えたルックス。
不出世とは彼のためにあるような言葉ではないか。当にロックンロールのアイコンとは彼である。どれだけ時代が下り、ロックという音楽が多様になっても、ロックンロールの最も端的なイメージを醸すジャケットの一つが、彼の1stのギターを抱えて歌うあれであろう。


当に、ミャオロックの対極に位置する人物である。
しかし、ミャオロックにおいて最も重要な存在こそが彼である。
彼こそ、多くのミャオロッカーが思い描く「かくありたい」と思う完璧なロックンローラーの姿である。
そしてそれはミャオロッカーたちの多くが資質として全く持ち得ないものである。
そして、いうなればエルヴィスの特徴をまるのまま逆に設定したものがミャオロックと言っても言い過ぎではない。
ひょろひょろの声。もったりとしてキレの悪い歌い口。つんのめってる微妙なリズム感。貧相でだらしないルックス。
それは全くたどり着くことが出来ない理想像であり、それ故にミャオロッカーは彼の特徴を何とか取り入れようともがく。


例えば、電子系ミャオロッカーの巨頭であるマーティン・レヴ(スーサイド)。スーサイドの特徴でもあるが、彼のソロ作で顕著なのはヴォーカルに阿呆ほど深くかけられたエコーである。まるで鍾乳洞の奥で歌ってる効果を狙ったのかと思うほど無茶なのだが、その意図するものは鍾乳洞ではなくエルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」のアレであろう。まあ多くのロカビリーの人のヴォーカルには深いエコーがかかってるものだが。


しかし、例えエルヴィスの影響を受け、サウンドの表層を真似しても、エルヴィスのコクのある声や歌だからこそ成立する要素は様にならないまま放り出される。
その反面、声質がひょろひょろで歌い方がよれよれでも無理にやる、それがミャオのミャオたる由縁だ。身の程がよく判っていない、のではない。単に欲が剥き出しなだけ。
エルヴィスを偉大だと崇拝すればするほど、ミャオロッカーの歌やギターは諦念と開き直りに満ちたグダグダ感を増していくのであった。